どんなところ?


【位置】
兵庫県養父郡八鹿町(兵庫県北部・但馬のほぼ中央)の一集落。但馬の母なる川・円山川とその支流である八木川の合流点に面し、北側にそびえる大森山(海抜404b)の山すそと、県道八鹿停車場線沿いに住宅が東西につらなる。
【歴史】
1 生活の始まり
JR山陰本線八鹿駅の北・大森山の山すその畑から発掘された土器から、八鹿町教育委員会で埋蔵文化財の調査を担当する谷本進さんは、「推古天皇の時代(592〜628年)には農耕生活があったのではないか」と推定している。
2 旧但馬竹田城主赤松広英(広通)公墓所
  竹田城主の赤松広英は、大森の農民が飢饉で苦しんだ3年間を免税としたことがあり、讒言により鳥取城下自刃した広英の仁政を偲んで墓碑を建て、今も命日の11月28日(旧暦10月28日)を『赤松つぁん』の祭りとして400年にわたって供養を続けている。平成12年(2000年)には400年祭が行なわれた。

3 交通の要衝
赤松公を祭る地蔵堂前は、明治11年までは八鹿の中央だった。京都からの山陰街道は八鹿町上網場から円山川左岸沿いに八木川に至り、現在のJR山陰本線八木川橋梁のすぐ下流から大森に渡るコースで、今も県道八鹿停車場線を横切って大森区公会堂前を登り、地蔵堂前で因幡(鳥取)と湯島(城崎)に分かれる。1700年代末に作られたと推定される古いかな書きの道標が残り、場所にふさわしいかど屋、まんじゅう屋、やど屋、おけ屋などの屋号を持つ家の子孫が生活している。

【交通】
集落の東側をJR山陰本線が走り、八鹿駅まで徒歩3分から最も遠い所からでも10分と近く、駅前には但馬の交通の一翼を担ってきた全但バス本社があり、住民の生活は便利な環境にある。
道路は、集落東端の円山側左岸沿いに国道312号、右岸を県道の通称・円山川右岸道路が走る。集落内には県道八鹿停車場線と町道(通称・うえみち)、また2つの道路を縦に結ぶ生活道路(一部私道)が日常生活を支えている。
【生活と産業】
 かつては農業、養蚕、地の利を活かした川漁で生活の糧を求める世帯があったが、山陰本線の開通と全但バス、郡是製糸の開業、蚕業学校の開校などにより変化が始まり、現在では専業農家二戸、養蚕もなくなって20年以上になる。
 製造業としては宝暦元年(1750年)年創業のこがね味噌だけで、車社会の到来によって他地域で工場を移転して機械、電子部品等を製造する経営者もある。販売業は建材・石材店を除くと飲食店3軒だけとなっている。区内には関西電力八鹿営業所と制御所などがある。
現在の大森区民の生活は、町内外での勤務によって支える人が多く、仕事は第2次、第3次産業が主で、第1次産業従事者はわずかとなっている。


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